March 27, 2022

日記

この三日間で、「ある島の可能性」を読み終え、軽井沢で行われた友人の結婚式に出席し、「カラマーゾフの兄弟」を読み始めた。

「ある島の可能性」では、性愛を起点とする種の維持の対抗勢力として勃興した新興宗教エロヒム教がクローン技術によって不死を実現した。軽井沢では、まだ肌寒い初春の陽の下、三角屋根の教会で大学の友人が永遠の愛を誓い合った。「カラマーゾフの兄弟」では、粗野で低俗な父親にネグレクトされた三人兄弟の長男が父殺しを画策し始めたところだ。いろいろな世界が、ある。

「カラマーゾフの兄弟」、作中で、次男のイワンは『人類から不死に対する信仰を根絶してしまえば、たんに愛ばかりか、この世の生活を続けていくためのあらゆる生命力もたちまちのうちに涸れはててしまう』という自説を展開する。対して、エロヒム教は数世代にわたる研究の末にクローン技術によって信仰のコンセプトである不死を実現したが、永遠の生を得た新たな人類、ネオ・ヒューマンは愛の観念を失う。不死の信仰を失えば愛を失う世界と、不死を得ることで愛を失った世界と、不死を得ずとも愛を誓約した友人。

式後の夜は久方ぶりに出会った旧友と軽井沢ビールを片手に、「ごきぶりポーカー」を午前三時までプレイした。差し出したカードの絵柄に関する相手の主張が正しいか正しくないかを当てるゲーム。不死と愛に関する主張の食い違いに頭をひねり、「ハエだよ」と主張したにもかかわらず実際にはゴキブリだのカエルだのを差し出してくるほら吹きの友人たちとの交流を経てもなお、人間不信にならずにいる自分が不思議でならない。

結婚式の前夜、彼女に、これからおめでたいことがあるというのにそんなものを読んでて大丈夫なの、と心配されたけれど、今思えば良いチョイスだったな、と思う。予定調和、世界の摂理、モナドの作用によってたまたま手に取ったこれらの本は、軽井沢の高原で致死量の幸福を浴びせられた僕を図らずも救い出してくれた。これらの物語に触れていなければ、今ごろ標高千メートル氷点下の軽井沢の高原でキメたエクスタシーにのされたのちに、翌朝笑顔でよだれを垂れ流した変死体として発見されていたに違いない。

上モノのクサを吸った、きっと数週間はハイだ。