ベネズエラ出身の同僚がいる。
金曜の仕事終わり、皆が我先にとTGIFの宵闇へと消えていく中、たわいもないチャットをしたり、プロフ画像がゴリラの自作したボットにしょうもないことを話しかけたりして遊んでいた。
何の文脈かは思い出せない、話のテーマがベネズエラのことに移った。金曜の夜には似つかわしい、きな臭い話だった。
十数年前までは僕の国は世界的な資産家を輩出するような恵まれた国だった、今は極左の社会主義が与党となって腐りきっている、ベネズエラからの国外流出は百数十万人を超えた、僕もそのうちの一人だ、と彼は言った。
チェやカストロは西側諸国ではヒーロー的な存在として美化されている、日本も同じでロマンチックな話を聞くだろう、モーターサイクルダイアリーなんかで披露される冒険譚やバナナ農園の会社をアメリカの搾取から救った革命家として知れ渡っているだろう、全ては嘘だ、彼らは僕らの国に資源欲しさに、主義主張の植え付けがしたいがために僕らの国に侵略をした、結果的にこのざまだ、三十年前にはアフリカの国に軍事介入を行なった、彼らはただのエゴイストだ。
僕は彼から聞いたことをすぐには飲み込めず、それらを適切な距離から観察をするのにいくらかの時間を要した。
情けないことに、チェやカストロについての知識が全くと言っていいほど無い。ほぼ皆無だ。戸井十月さんの「チェ・ゲバラの遥かな旅」をだいぶ昔に読んだことはある。
彼が医学生のときにアルゼンチンやチリをぐるりと旅したシーン、革命の前夜、荒れた海を小舟で潜入するシーン。手汗でよれたページをめくりながらマッチョな男たちの冒険譚として飲み込んで、「カックイイ、なるほどこれ故にあちらこちらで称賛されているのか」と疑うこともなく、コンテンツとして消化した。
もちろん、武勇伝の陰に隠れている、ライトが当たっていない部分、輝かしい面の裏側があるかもしれないことは想像がつく。ただ、僕からワンホップのところで大きく影響を被っている人がいるという事実は生々しく、想像を超えた重みを伴うソリッドなものとして僕を揺さぶる。
ところで日本の文房具は最高だ、この間三千円で購入したPILOTのペンはこの上なく優れている、週末は銀座の伊東屋に出向いて一日を過ごす予定だ、あそこは文房具で有名なんだろう、と彼は言った。
文房具、パソコン仕事をするまではバスケットボールと同じくらい近くにあった存在、いいね、僕は前にそのあたりの会社に勤めていた、そこらへんのことならちょこっと知っている、あそこのレストランは炭火で魚の干物を出してくれるからお勧めだよ、と返しつつ、自分がいかに恵まれているか、比較をしないことには気づけない愚かさを恥じた。
コーディング面接の鍛錬を怠るな、エッジ・カッティングな技術を絶えずキャッチアップせよ、英語と技術力で年収を上げよう、毎朝早く起きて筋トレをしよう。上昇志向のカルチャーが生む快楽を啜ってぼんやり生きている無痛覚な自分。そこに、ついさっき話で聞いただけの、性能の良いらしい、使ったこともないメタリックなフォルムの三千円のペンが、歴史ある仏閣に鎮座する威容を備えた彫像のような気高さを伴って、僕の頭のなかにしばらく居座り続けた。